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2013年4月11日から毎月町の方々が集まり、昔の暮らしや経験を話し合ってこられたことを集大成した冊子です。
元持幸子さんは、2013年3月11日の「毎月11日の会」にご参加くださいました。会の最後に発言を求め「遠い大阪でこのような会をしていることに励まされた。大槌を復興させたい、そのことを報告できるようにしたい」とコメントされました。その1か月後に「11のつどい」をスタートされました。
3月6日から3月7日、元持さんのお招きで大槌町を訪問、11のつどいに参加してきました。
■道なき道、工事のため遮断された道のなか、被災の状況を見る
大槌町は町の80%が浸水し多大な犠牲者が出た町です。現在は徐々に盛土がすすめられていました。盛土の後、建物が建てられるまでには数年かかり、この先どういう姿になるのか見えない状況のようです。
城山からみた市街地 |
造成工事のため通行が禁止されている |
伊藤陽子さん |
ずっと町の撮影を続けておられる伊藤陽子さんがご案内くださいました。
ご自分が撮影された震災前の町の写真と比較しながら今の風景をみせ、暮らしの状況を淡々とやさしい言葉で話してくださいました。
「(略)津波で兄二人が行方不明となり、探しながら撮って歩いた写真なので、3.4月は地域に偏りがあるかも知れません。また、道路事情やガソリン不足の関係もあり、数か月後にやっと入った地域もあります。自分自身、街並みの記憶が薄れている部分もあり、避難所にいて翌日の町の様子を見れなかった人たちや、あの頃の状況、復興に向けて多くの方の支援があった事などを思いおこすと、感謝の気持を込めて皆さんと共有した方が良いのではないかと思い、写真集という形にすることを決めました。(略)」
伊藤さんが自費出版された写真集『大槌 がんばっぺしおおつち-2011・3・11-2012・2・29の記録』(平成24年3月11日発行)のあとがきからの抜粋です。
■臼澤鹿子踊(しらさわししおどり)伝承館で、最高のご馳走「どんこ鍋」をいただく
NPOつどいの皆さま、大槌にボランティアで入られた学生さん、地元の皆さんに混じりご相伴にあずかりました。厳冬時期の最高のご馳走「どんこ鍋」です。
大なべにどんこ(エゾアイナメ)のぶつ切り大槌の野菜が湯気をあげています。どんこの肝が溶け込んでその滋味はすきっ腹にじわ~っと染み入りました。おもてなしに感激です。
プレゼント頂いた記念写真 |
みなさんの笑顔、どんこ鍋の美味しさは、いまでも頭と舌がしっかりと記憶しています。
■「11のつどい」に参加させていただく
「11のつどい3月」は伝える方法と言うテーマです。きらり仮設商店街の一画で開催されました。
元持幸子さん進行のもとに伝えていきたい風習、大切にしたい物などがみなさまからいろいろと出されました。
○城下町であった頃の町名
○安渡のおまつり
○漁師の仕事ぶり
○手踊りの山車
○津波を察知する方法
○地域のつながり
などなど・・・、文字にするとこのようなことですが、集まった人たちが大槌の方言でポンポンやりとりしながらのディスカッションに、前へ向おうとされている意気込みが伝わってきます。
きらずだんご |
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「NPOつどい」元持幸子さんにおつくり頂きました大槌訪問は、大変すばらしい体験となりました。元持さま、臼澤さま、伊藤さまはじめ、大槌の皆さまに心から感謝申し上げます。
大槌から大阪に戻ると震災から3年目の3月11日がまじかで、メディアでは東日本大震災の報道があふれていました。大槌を追った番組もありました。画面の映像はフィルターを通したものですが、自分の体験がそのフィルターをはずして実像に反転させてくれます。
被災地を自分の足で歩いて自分の目で見て自分の耳で聞きそこの空気を吸う。自分の感覚で確かめ感じる、解るということについてこれに勝るものはないと思います。
2014年3月11日「毎月11日の会」でスピーカーの猪飼晶代さんが言われていました。
「現地に行ってみてください。遊びに行けばいいよ。東北はいっぱい美味しいものがあるから、美味しいもんたべて、思い切りお金を落としてくる。それが支援になるよ」と。
大槌町でもいいし他の地でもいいし、遊びに、美味しいもの食べに被災地に行こう!
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