2012年11月29日木曜日

12月の例会。会場等が変更になっております。

12月11日(火)
                         「大阪のおばちゃん福島を行く」
10月、震災から1年半の福島を訪ね、見て聞いて触れたこと 
                                                                                                                            徳山明美(関西YMSネット
                                                              大森俊子(関西YMSネット
 
会 場 大阪市立子ども文化センター  2階リハーサル室


          
            先月の西区民センターの南隣
             大阪市西区北堀江4-2-9
                06-6531-5975 
地下鉄 千日前線「西長堀」駅 7番出口 北へ100m
地下鉄 鶴見緑地線「西長堀」駅 3番出口 南へ100m
 

時間18:30~20:30

参加費1,000円

定員30名(先着順)

お申込み先
   関西YMSネット事務局
    阿部  健090-1241-0113
    徳山明美080-5324-3039

2012年11月12日月曜日

「毎月11日の会 大阪」・・・。11月定例会。白政桂子さん、立嶋滋樹さん。


11月の定例会は、

「被災地へ出かける気持ち」
 ー1年を経た宮城、福島へ、二組の旅と思いー 


というテーマで、
 
コピーライターの 白政桂子さん、
画家の立嶋滋樹さんのお二人に、話していただきました。


お二人とも震災後、
「一度行きたい、だけど、行って良いんだろうか。」という気持ちがいきかう中、それぞれ、背中を押してくれるものを得て、出かけていかれました。

偶然、お二人が被災地に行かれたのは、今年の5月、
世間のテレビで被災地の人達が
「こちらへ来てください。」と言い出された頃だったそうです。

白政さんは、
大震災が、起こった後、
東大寺のお水取りに行っていて、その時に、

管長さんが、涙ながらに

・ 震災で亡くなった人々の事を悼んでください。
・ 現地の人々に心を寄せてください。
・ それぞれの立場で出来る事をなにかしてください。

3つを言われたそうで、
その言葉が心に残っていた白政さんは、ある時突然、
「行く。」と思われたようです。

その背中を押されたのが、
白政さんが、月に一度通っている
小笠原礼法の85歳になられる先生の
「私も行く。」
という言葉でした。

先生と、レンタカーを使える女性と、白政さんの3人旅。

夜行バスと、レンタカーを使って、
仙台、塩釜、松島、南三陸、福島、二本松、須賀川。
須賀川から、福島市、相馬市、相馬から、海岸線を北上、津波の爪跡を走られました。
最初美しい景色が広がっているところから一転、南三陸に入って、巨大な瓦礫を見たとき、呆然と見ている、二人の横で、
先生が、
「早くみんな引き取って!」と
叫ばれたそうです。

須賀川では、
阿部農園で泊まり、自力で農業を復活されようとしている姿に感銘を受け、今現在も交流を続けているそうです。

今、阿部農園は、
「農から食をリセットする。」をテーマに、
たとえ、セシウムを口にしても、それを浄化できる食を考え出し、それを伝えていく、ということに着手されたそうです。


画家の立嶋滋樹さんは、
昨年の3月の個展に向けての制作中に、大きな揺れを感じ、ラジオをつけてみたら、

「福島原発の原子炉が冷却不能になりました。」

という放送を聴いたそうです。

後から得た情報でも、そのような尻切れトンボの言葉ばかりで、
「じゃあ、その後どうなるの。」というような疑問がいっぱいだったようです。

「わからないじゃないか。。」

アメリカからの情報や、自分の知識の中からでる今後の予想はあっても、行政や、東電からの情報はわからない。

その苛立ちや、モンモンとした気持を抑えられなかったと言います。

いつもは、美しく優しい絵を描かれる画家が黒い絵を描きました。

一度この目で被災地をみたいと思いながら、なかなかふん切れない。
そんな、立嶋さんの背中を押したのは、
「お見舞い」という言葉だったそうです。

「そうか、お見舞いに行こう。」と思い立ち、
親しい友人に声をかけたところ、作業療法士をされている友人夫妻と、小学校3年生と5年生のお嬢さんが一緒に行かれる事になりました。
「子どもたちに見せておきたい。」という気持があったそうです。

レンタカーで鳴子温泉に入り、そこから、石巻、気仙沼、陸前高田と回られました。
旅の途中、現地の方達から得た情報は、報道では聞かれなかったものが多かったようです。

「どんなところから立ち上がってこられるのだろう。
その場所を見ておきたかった。」

帰ってから、ラジオ等での話に、実際に現地を見てきたからこそイメージできることが多いので、行ってみて良かったと思っているとも話していました。

原発に関して、行政への不満をぶちまけられました。
何か小さいものでも作り出すということは、とても喜びにつながるのに、
これから、40年といわれる廃棄作業、
「何も作り出さない、40年にもおよぶ作業」を思うとぞっとします。
そんな可能性のあるものと何が交換可能なのか、私達は価値の整理をしなくてはいけないのでは。

こう言って話を締めくくられました。

立嶋滋樹さんの話の中で、わたくしの心に強く残った言葉は、

「何かを表現するものの根底に、生まれ育った場所がある。」


白政さんは、最後に、
今日、被災地に行った話をする、と先生に報告したらメッセージをあずかりました。
85歳の先生は、
「何か私にできることがあったら、言ってください。」と
言われています。

私は、いえ、会場にいた多くは身体の表面に電気が走る思いを持ちました。


白政さん、立嶋さんの話をかいつまんで報告します。
しかも私が強く感じたことばかりです。

後日、きっちりと記録として残しますので、どなた様でもお問い合わせください。