2013年1月12日土曜日

「毎月11日の会」・・・。1月例会が終わりました。

 
~石巻で聞いた「3.11」の訴え~
 
鈴木知英子さん。
 
奈良県在住で、かしば女性会議の代表の鈴木さんは、
2012年10月25日、石巻復興支援ネットワークに女性会議のお仲間達と訪問。
 
2012年、3月11日に関西YMSネットが主催した追悼会に参加。
その時のスピーカーのお一人の萱場祐子さんに連絡、
萱場さんが副代表をされている石巻復興支援センターを訪問しました。
 
3.11の追悼の会では、参加者は皆、萱場さんのスピーチに心を打たれたました。
 
鈴木さんもその一人で、えらいことを経験されたんだと思われたそうですが、
実際に現地で、萱場さんの案内で被災地を回りながら聞いた萱場さんの声は、さらに鈴木さんの胸を打ったようです。
 
何箇所もまわられた話の中でも、
門脇小学校の事は衝撃的でした。
 
津波を受け、火災に見舞われたにも関わらず、
300人の児童は皆無事。
日ごろの訓練の賜物。
 
人一人がやっと通れる道を津波と火から逃れて日和山へ逃げたそうです。
 
「そこで親と再会するまでの1日、2日どんな気持だったろう。と、思いました。」と話されるのを聞いて、
映像を見ているように、その子達の顔、先生の顔が浮かびました。
 
又、大川小学校では、警報が出た後、校庭で点呼をとっている時に津波に襲われ、殆どの児童、先生が亡くなられたそうです。
こちらも普段やっていた訓練どおりにやったのに・・・。
 
 
萱場さんの運転する車に乗って、町の中を走っていて見えてきたのは、
うずたかく積まれたままになっている、自動車。
 
堤防のようにうずたかい瓦礫。
 
高校の校庭には粗大ゴミの山。
 
鈴木さんは、
「いったい一年7ヶ月の間、何をやってたんや。」と、声を高くされていました。
 
あちらこちらの空き地には、
「がんばろう石巻」という看板が立っていて、そこの前は花が途切れたことがないそうです。
 
又、3.11の追悼の会の時に参加してくれたドイツ人のウベエさん、その時も、尺八の演奏をしてくれましたが、
ウベエさんが、そのたて看板の前で長い間尺八を吹いていたそうです。
 
被災地を回られ、見て、聞いて、感じられた事の報告はまだまだいっぱい。
 
最後に鈴木さんは、
「大きなことは出来ないし、広域に亘っての支援は出来ないけれど、杯に一杯だけの気持を、杯一杯だけの相手になら渡せる。」と言われました。
又、
「大きな杯だったら、仲間がぽたぽたと満たしてくれる。」とも。
 
被災地で、ほとんどの人から言われたことは、
「忘れないで。」ということだったそうです。
 
忘れない為に自分が出来る事を考え実行。
 
アクリルタワシの話を思いついた時には、きっと片方の手を拳にして、もう片方の掌を叩いて、
「ヨシッ!なかなか良い考えや。」とニタッと笑ったに違いないと思います。
 
仮設に住む方たちの手によるハート型のアクリルタワシがもうすぐ届くそうです。
 
 
今も癒えない爪痕をこの目で見、
生涯消えることのない人々の慟哭を聞き、
復興に向けて懸命に挑戦する街の姿に接し、
67年を経たあの戦争を思っていた。
荒廃した大都会、失った多くの命、
生涯消えることのない戦争の禍根を背負って生きる人達。
 
「忘れないでください。」
「天災は避けられないけれど、
 戦争は人間の知恵で回避できるはず。」
 
レジメの最後にあった、
鈴木さんの
ー10月30日の私の日記からー
 
一部を転記させていただきました。
 
長年にわたり、戦争の語り部をされている鈴木さん。
 
柔らかい言葉の裏に凄い覚悟が隠されていました。
 
 
新しく「毎月11日の会 アーカイブズ」を立ち上げています。
定例会のスピーチをテープ起こしし、要約したものをアップしていきます。
合わせてご覧ください。
 

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